他に誰もいない

学部の初めのころまで、「考えることが好きだ」と主張していた。考えることの内容はほとんどが大層なものではなかった。ただ、中学生のころから、「自分の頭の中が言葉で埋め尽くされる」ような感覚をしばしば味わっていて、それが好きなような気がしていた。その頭の中の言葉というのは、空想上の他人の声であったり、もしくは小説を読んでいるかのように淡々とした文語が脳内を流れて行ったりした。

しかし、言葉が頭の中を埋め尽している状態は、自分を抑鬱的にさせるものだった。あるときマインドルフネスについての書籍を読んだとき、頭の中でずっと声が聞こえている状態は、よいものではなく、治療により改善すべきものなのである、とあった。私はそれを読んでから数日間、自分の頭の中の言葉たちをかき消そうと試した。そうすれば幾らかより明るい日々を送れるのではないかと思った。結果としては、頭の中の言葉をかき消すことは、私の全身が拒んでしまった。頭の中の言葉をしばらく抑えていると、ある時点から抑え切れなくなった言葉たちが制御不能なまでに溢れ出し、その言葉たちとそれらをどうにか止めようとする意思とがせめぎ合う。自分の内面の二つの相反する精神は完全に自分を疲弊させてしまって、私は普段通りに頭の中の言葉を解放させることにした。

 

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修士のとき、近くに住んでいた70数歳の親戚と食事をすることが何度かあった。親戚の話す内容といえば、別の親戚のことが多かった。既に他界した私の祖父のこともよく話していた。私は、そういった話がすごく嫌だった。それは単に退屈だからというわけではなく、他人の長い人生について聞かされていると、得体の知れない大きな何かに圧倒されてしまい、すぐにでも下宿先に帰って一人で泣き出したくなるのだった。

その親戚から、祖父が生前に回想録を残していたことが聞かされていたのだが、その回想録が数ヶ月前に別の親戚によって文芸誌に掲載されたらしい。そして、そのコピーを母親が私宛に日本からの国際便で食料などと一緒に送ってきた。内容は、祖父の経験した昭和の庶民としての生涯を平淡な文章で綴ったものだった。祖父は親戚内では無口で社交性のない理系人間というイメージを持たれていたそうなのだが、回想録からはかなりの文学少年であったことが伺えて、シェリーの詩などを引用している。

そして、私はそれを読んでまたとてもいやな気持ちになってしまった。なにがそんなにいやなのか、これほど不可解な感情はないのだが、もしかすると私は人生が続くということがいやなのかもしれない。

(私は祖父とほとんど関わったこともなく、記憶も薄いのだが、一つのつながりと言えば、祖父の所持品であった高木貞治の初等整数論講義のボロボロの初版を私が保管していることだった。)

 

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他人の仕事に心を惹かれると、自分もこのようなことがしたいと強く感じる。そしてたまに自分も作り上げたものについて他人が好感を示してくれたりする一方、なにか違う、と思う。私は他人の心の中に存在したいように切望している気がするのだが、その他人というものがそもそも存在しないのだ。気付けば、人だけではなく、自分の外側というものが存在しないような感覚がある。それは孤独感をもたらすときと、もしくは逆に安堵をもたらすことがある。ひどく苦しいときには、自分の外側という概念を意識的に除外しようとする。すると自分の過去というものもなにか自分とは独立した別物に感じられてくる。そして未来すらも断ち切れれば良いのに、と思うのだが、どうしても未来は来るように感じてしまう。

また、言葉が収まらない。こういうことがよくあるので、私は昔からそれを文章化したりする。数年以上前の自分の文章を読むと、そこにあまり自分を感じられなくなったりする。それでも「記憶」の中にそれを書いた自分があるので、不可思議な、つぎはぎな世界を感じ取ることになるのである。