死の話をするけど心は普通に明るいです

いつの日か、つらいことがあって死にたいと思ったとき、こういう思考をしていた。
……死ぬのは怖くてできない、じゃあ一体どうしよう? 怖くなく死ぬ方法はある? 生物学的に死ぬ以外の方法を取れないか? 今日までの記憶が明日いっさい消えたら、今日までの自分は死んだことになるのではないか? じゃあどうやって記憶を消そう? それ以前にそもそも、どうして今日の自分は昨日の自分とつながっていると思ってしまうんだろう?

そんなふうに考えて、結果的に「明日起きたら今日の自分が死んでいますように」と願って眠りについた。もちろん次の日起床しても前日の自分はつながっているように感じたし、つらい気持ちはそのままだった。

最近、昔の自分のことを思い出すと、もはや自己同一性が感じられないことが多い。記憶はあるのになんだか自分ではないような感じがする。でも、ということは、今までの死にたかったときの自分たちは、晴れて死んでいったのだと思う。そのとき切望していたことは叶ったのだと思う。ほんの何年か前は、将来は健康な人間でも安楽死が可能な国に移住して安楽死をしようと考えていたのだけど、何もしなくても自分はどんどん死んでいくのでその必要がなくなった。おめでとう。