冬の日

好きな季節は、と聞かれることがある。ふだんの自分は、季節に偏向があるということはよく分からないなと思いながら、消去法で答えを考える。夏は暑い、冬は寒い、春は蜘蛛が出てくる、となって、だから秋が一番好きだと答える。相手は、そういうことじゃないのに、みたいなことを言う。
ある時期までは、季節に限らず、好きな動物でも、好きな色でも、好きな食べ物でも、聞かれると「むしろどうしてそんなものに好き嫌いがあるの?」と思っていた。自分の好きなものが分かるようになってきたのは多分20歳くらいからだ。それまでは自分の気持ちの捉え方が分からなかったのだと思う。カレーが好きな気がしたとしても、カレーを食べるとつねに身体に衝撃が走るわけでもないし、飽きる時期もある。そんな状態があるのに「私はカレーが好きだ」なんて主張することに違和感があったし、そういうことを考えるとカレーのことが好きではない気がしてきた。今はカレーが好きだ。おそらく、変わったのは、好きだという言葉を気楽に使うようになったことだと思う。カレーは気持ちを持たないので、好きというのも嫌いと言うのも自由でいいだろう。

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寒い季節になってきた。寒いのはめんどうであったりするけれど、それでもなんだか冬は好きかもしれないと思える瞬間がある。緑の生い茂った樹々よりも、枯れた葉のほうが景色として落ち着くときがある。日が早く暮れていくさまにも、不思議と安心感を覚えることがある。それに、なぜかは分からないけれど、冬は何かを待っている季節だというイメージがある。冷たい風に頬を打たれながら、人を待っている。同時にいろいろなことを考える。期待と不安が入り混っている。淋しさもある。息を吐くと白く凝固する。身体は冷えるけれど、苦ではない——。ひょっとすると、自分は淋しさに繊細な美を感じるのかもしれない。そして、こういうとき、好きと言ってもいいかもしれない。

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繊細な美は、どうにもうまく説明できない。要素を列挙してどことなく近づけることはできるかもしれないけれど、完全に還元することができない。淡々と要素を列挙するよりは、描画して、聞き手にイメージを伝えるほうが、説得力があるような気がする。Fly Me To The Moon を聴いていたって、In other words, In other words, と何度も繰り替えして、やっとの思いで Please be true, I love you と辿り着く。
文章を書くとき、とくにこのブログなんかでは、いつもそんなことを意識している。また、ここにものを書くときは、前述したような気楽な意味での「好き」ではなくて、なにか複雑なよさをどうにか残そうという気持ちがある。世の中のほとんどのものは、好きと思おうとすれば好きなように思えるし、それほど好きでないと思おうとすれば好きでないと思えてしまうかもしれないけれど、逆に言えば、主張をしていくことで自分ができあがっていくのだろう。また、カレーのことはいつ好きではないと言い直してもよいけれど、それでも好きなものはいつまでも好きであろうとしたいようにも思えてくる。
カレーは気持ちを持たないが、対象が気持ちを持つならなおさらだった。